The star is.
「あの星が欲しい」
二人並んで歩いていた夜道、空を見上げて唐突に彼は言った。すでに深夜に近い時間帯で、今日は泊まっていかずに帰るという彼を途中まで送ろうと一緒に歩いていた古泉もその視線を追う。
「駄洒落ですか?」
いかにも古泉らしく返すと、案の定彼は露骨に顔をしかめた。ちげーよ、とぶっきらぼうに返される。
赤く黄色く瞬く星の真上、明るく輝く星を彼は指さす。
「あれ、なんて星だ」
都会の夜空にはなかなか満天の星空は見込めない。今日も曇ってこそいなかったが、重苦しく湿った空気の向こう側に見える星はいくつもなかった。湿気を存分に含んだ不快な空気が二人のむき出しになった腕に触れては去っていく。
「さあ、流石にわかりませんね。周りの星の配置もはっきりしませんし」
昔の古泉なら、あるいは即答できたかもしれないが、今の古泉にそれは不可能だった。もう忘れてしまったのだ。
「もしかしたら、昨日出来た星という可能性もあります」
少しばかりの感傷と共に吐き出した言葉を、その意味まで彼は正確にくみ取った。いくつかの街灯が照らす道路の上で、薄闇を突き通すように古泉の目を見る。
「アホか。そんなことがあったら今頃天文学会は大騒ぎだ」
その目の真剣さとは裏腹に、台詞は常のごとき戯れの色を含んでいる。
こういう時、たまに古泉は彼の真意を見失う。どちらを優先して扱うべきかを計りかね、結局楽な方を選んでしまうのを堕落の一種だと彼は思うだろうか。それとも自分に失望するだろうかと、そんなことを考えていることをおくびにも出さないのは最早癖になりつつある。
「では三年前かも」
口にしてから、常の話題ではあるが彼が好まないタイプの話題であることに気がついた。お互い、二人きりの時ことあるごとに超常現象の中心たる人物について会話するのはそう好きではない。
案の定彼は、鼻からため息を吐いてみせた。
「なあ古泉、深い森の中で倒れた木はないって話を知ってるか」
だが古泉が予想した台詞をことごとく裏切って、唐突に話題は変更された。彼の目はもう一度星を見ている。
まるで自分のような話題を持ちだしてきたものだと半ば感嘆しながら言葉を紡ぐ。
「ええ、観測されない事象はなかったという説ですね。ある意味、宇宙は人類が観測した瞬間からできたのだという理論にも繋がります」
「そうだ、お前が言ってたな」
それはまだ出会ってから間もないころに古泉がぶちまけた論説の一部分だった。それを彼はきっぱりと切って捨てたし、古泉も納得して口にしていたわけではなかった。
「つまり、認識しちまえばそれは事実だ。そこにあるってことだ」
果たしてそれが現在彼が巻き込まれている状況に対してのことなのか、意図がわからず問うた。
「すみませんが、おっしゃる意味が」
彼は面倒くさそうに古泉を一瞥して、また星を指さした。大儀そうに持ち上げられた指を見つめていると、なぜ俺はこんなことを言ってるんだろうな、と今さらな前置きをして話し出した。
「あの星はある。ちゃんとあそこにあるんだと、俺とお前が見つけたからだ」
そしてその指をゆっくりと古泉に突きつけて、
「お前もここにいる」
瞬きもせずに古泉を見つめた。古泉はその場に立ちつくし、合わせて彼も立ち止まる。
「ちゃんといるんだ」
何が言いたいのですかとは訊かなかった。これでわからないようなら古泉は彼の隣にいることはできない。
世界の全てが、自分も作り物ではないかという古泉の疑念を、星すら確かなものではないのではという諦めを、彼ははらそうとしてくれている。
そして気がついた。
あるではなくいるという言葉には、二種類の意味がある。
古泉が何も言えずにいると、彼は少しだけ言いづらそうに、だがはっきりと言った。
「俺はいるか、古泉」
それが存在があるという意味でのいるなのか、必要であるという意味でのいるなのか、古泉にはわからなかった。
「……はい、います」
とりあえず無難に前者で答えると、そうかと彼は言った。
「いるか」
そしてもう一度。
「いります」
今度は古泉も即答した。
ふっと笑って、彼が照れたように頭を掻いた。
慣れないことをするもんじゃない、とぶつぶつ自分に言い訳するのを聞きながら、古泉はさりげなく片方の手を取った。二人の手は汗ばんでいたが、不思議と不快感はなかった。
「おい」
「誰も来ませんよ」
こんな時間に、と言ってもいやそうじゃなくてそうでもあるんだがああいいやもう、と二転三転した言葉を口にする彼が愛おしくて笑う。なんだかんだと言いながら手を振りほどこうとしない彼のことが古泉は好きだった。
彼に触れていれば自分は現実を認識することが出来る。
だから途中まで行って別れたら、家にとって返してあの星の名前を調べよう。プレゼントすることはできないから、次に夜歩く機会があったらあの星を指さして、星に関わるあらゆることを語ろう。きっと彼はしかめ面をしながら、だけど文句を言わずに聞いてくれるはずだ。
自然に浮かんだ笑みに彼が照れてそっぽを向いたことに、残念ながら古泉は気がつかなかった。
End.
小説へ
|