タイムリミットは15分
夜のコンビニというものは、どことなくバイトの店員も気を抜いている感じがする。
妹が明日学校で使うらしいセロハンテープと、自分の夜食をレジに持っていくとその感覚が顕著だ。いくらでーす、と告げられた金額に札を出す。母親から「おつかい」用に渡された金だ。妹も母親もセロハンテープくらい家にあるだろうと思っていたらしく、結局どこひっくり返しても見つからないことが解ったときにはこんな時間になっていたというわけだ。多少の買い物くらいはいいのだが、せめてもう少し早くに気が付いて欲しかったぜ。
ビニール袋を提げて自動ドアをくぐりながら、携帯で時間をチェックするとちょうど電池が残り一本になった。帰ったら充電だなと考えつつ自転車のカゴに袋を放り込んだ時、突然電話が着信を告げた。電話というもんは突然であるのが普通だとは思うがな。
相手は……お前か。
「もしもし?」
「どうも、こんばんは」
古泉です、などと名乗らんでも解るわ、公衆電話からならともかく自分の携帯からかけてきてるんだから自分の名前が表示されることくらいは解るだろうが。
「なんか用か」
自転車に軽く体重を掛ける。
「特に用事というわけではないのですが」
「じゃあ切っていいか」
「……寂しいこと言わないでください」
しょぼくれた声を出すな、否応なしに声が耳元が聞こえるのが電話という代物なんだから。
「電池が切れそうなんだ、あと15分くらいしか保たん」
「充電しないのですか?」
「今コンビニ」
「では、後15分ほどお話ししましょう」
「お前、そんなに俺の携帯の電池を切れさせたいか」
くすくすと笑い声がする。お前がどんな顔をしているかまで手に取るように解ってしまうことを誇ればいいか嘆けばいいかさっぱりだな。少なくとも他人に漏らしたい事項ではない。
「夜食でも買い出しに?」
「ああ、妹の文房具のついでにな」
「夜に一人で出歩いていると危ないですよ」
「……お前、一体俺をいくつだと思ってるんだ……」
一度こいつの頭を思いっきり引っぱたいたら治らないだろうか。ばーさん家で今なお現役をはるポンコツテレビのように。しかしあれにもコツがあって、何故かばーさん以外が叩いても砂嵐が消えないんだったな。いるとしたらだが、その手の専門家に任せた方がいいかもしれん。
結局こんな感じで、俺は古泉と電話越しにコンビニの駐車場で10分以上も立ち話をしてしまった。内容は実にどうでもいいことだったさ。明日の授業の何々が憂鬱だ、とか深夜番組で面白いのが今日やるんじゃないか、とかな。寝たらころっと忘れてしまいそうな会話だったが、古泉は楽しそうだったし、俺もまあ悪くなかった。
「ああ、そろそろ時間ですね」
そう言われるまで、携帯の残り電池のことなんざすっかり忘れていたくらいにはな。
「あなたの申告より少々短いとして、もう僅かしか時間は残っていないと見ていいでしょう」
「お前は本当に回りくどい言い方が好きだな」
そうでしょうか、と笑いを多分に含んだ声が返ってくる。
「少しでも会話を長引かせようという他愛もない努力ではないですか」
「……例え話だけではなく冗談も解りにくい」
それでお前曰く『貴重』な時間をすり減らしているだけだということには気がつかんのか。
そんなことを言いはしないがな。
「ではそろそろ、」
そう言って古泉が電源ボタンに手を掛けたのかどうかを俺は知らない。だが、少なくとも携帯の受話部分から意識がそれたのは確かだろう。多分。
だからそれはちょっとした悪戯心だったんだ。ほんの、奴が言う『他愛もない』言葉だ。
「古泉、好きだ」
ピーッと右耳に甲高い電子音が響いて、画面を見れば電池を充電してください、という文章が電池切れのアイコンと共に踊っている。ボタンを押して電源を切った。
……聞こえなかったよな。ぐあ、冷静になってみたら恥ずかしくなってきた! 誰だ、電話の切り際(しかも不可抗力)に変な言葉を囁いちまった馬鹿は! 俺か! くそ、雰囲気に流されたとか古泉の声が名残惜しそうだったからなどとの言い訳をする気にもなれん。こんな時はさっさと家に帰って布団かぶって寝て忘れるに限る、と自転車に乗りかけた時だった。
「僕も好きですよ」
――思わず電池の切れた携帯を見た。当然、電源は先ほど切ったので沈黙している。
しかしそれはただの時間稼ぎの動作に過ぎない。そう、あいつの長口上と同じくらいの、いやそれ以下の効果しかない時間稼ぎだ。
なぜならそれが実体を伴った肉声だってことを、俺の耳はとっくに理解していたのだから。
例え後ろに殺人犯がいてもこうも振り返るのをためらいはしまい、と思いながらも恐る恐る振り返った。
あー、いるよ。
「改めまして、こんばんは」
何故そんなに爽やかに笑うんだ、夜だぞ。ていうか何故お前がここにいる。そもそも何故まだ制服なんだ――制服?
頭に浮かんだいくつもの疑問を口には出来ず、俺はただ酸素の足りない魚のごとく口を開閉させていた。単純に驚いたというのもあるが、登場時の言葉からしてこいつは確実にさっきの俺の世迷い言を聞いている! 誰かピストルを持ってきてくれ、俺のこめかみを撃ち抜くのにちょうど良いサイズのを頼む。
「……そこまで顔が真っ赤ですと、こちらも照れるのですが」
赤くなどない。確かに急激に気温が上がったようで首から上が熱いが、別に血が上ってる訳じゃない!
「そういうことにしておきましょう」
困った人ですね、とでも言いたげに肩をすくめた。お前なぞ勝手に照れていればいいのだ。
「それより、お前、なんだそのなりは」
散々言っているように現時刻は夜だ。ぼちぼち高校生が出歩いていると補導される時間になる。そんな夜のコンビニに制服姿の男子高校生が現れておかしくないわけがない。
「……例のあれか」
そして俺としては、こいつが制服着たまま夜うろつく理由を一つくらいしか知らんのだ。下校までは一緒だったのだから、こいつが家に帰ってちょっとしたらとかそんな時間に例の灰色空間が出現したかしたんだろ。そう思って見れば、いつも嫌みなほど整っている制服は多少よれているし、セットに何分かけてんだと言いたくなる爽やか長めの髪はへたれている。
浮かべて見せた笑みが、途端に弱々しくなるのを俺は見た。
「詳しい理由はお話ししませんが、まあその通りです」
ツー、ツー、ととっくに通話が切れた電話を片手に持ちっぱなしなのはなんでだ。もうそこから誰の声も、俺の声も聞こえてくるわけではないというのに。
「ちょうど今帰りだったんですよ、あなたの声が聞きたくなって」
決して意図してこちらのコンビニに向かっていたわけではありません、と言い訳がましく付け足して。
「会話しながら歩いていたところ、あなたの姿を発見したので、驚かせようと思ったのですが」
笑顔の代わりにウインクをしやがった。何やってもキレが悪くなってるんだから無理するんじゃない。
「逆に驚かされてしまいましたね」
ああやはり、電話でなくて直接話した方がいいなと俺は理解した。
声色だけで全てを把握できるほど俺は耳がよくなく、結局その向こう側でどんな顔をしているかなんてのは俺の想像に過ぎないからだ。疲れた顔を安売りするのは止めとけよ、俺はこれ以上お前に惚れるという気の毒な女子を増やしたくない。
「もうお前、大人しく帰って寝ておけ」
睡眠は大事だぞ、睡眠は。お前のようなキャラをしていると授業中にこっそり寝ることもできないだろう。
はあ確かに、と古泉は頷いて、
「あなたも、来ませんか」
ためらいがちにそう言った。
「俺は使いの途中だとさっき言っただろ」
妹はもう寝ているかも解らんが、さすがに母親が寝る時間ではない。テレビでも見ながら俺というかセロハンテープの帰りを待っているだろう。たかがコンビニに行っただけで数時間かかるなんて、小学生のお使い以下みたいな真似はできん。
「そうですよね」
「それに携帯の充電もしなきゃならん。どっかの誰かから電話がかかってきたときにすぐ取れるようにな」
「え」
――周囲の状況は把握済みだった。駐車場には車は一台もなく、コンビニ内に客はいないがために店員が二人して喋っている。通行人もいない。
今夜は最初からおかしかったんだ、俺があんなことを口走ってしまうくらいにはな。それだったらもう少しくらいおかしくなっても誰も文句は言わないさ。
とにかく俺は、古泉の胸倉ひっつかんで、半分ぶつかるような勢いで……まあなんだ、禁則事項です。
「、っ」
「じゃあ、また明日な!」
とにかく素早く体を離すと、自転車に飛び乗った。このままじっとしていると結局のっぴきならない状態に持っていかれてしまうのは解っている。嫌な経験則を得たもんだ。
「反則です……」
ちらりと振り返ると、頬をちらっと赤くした古泉がこっちを睨んでいた。ざまあみろ。
「また明日、お休みなさい」
後から追いかけてきた古泉の声に、良い夢見ろよと声をかけてやる余裕はなかった。ちょこっと片手運転をして後ろに向けて手を振ったくらいだ。
とにかく俺はさっさと帰って母親にセロハンテープと釣りを渡し、そのままの勢いで風呂に入って即座に布団かぶって寝ることに決めた。ああ、充電を忘れてはいかんな。またいつ勤労超能力者から電話がかかってくるかも解らないのだから。
End.
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